第2弾 田中和寛税理士事務所 田中和寛先生(山口県山口市)
取材日:2009年4月17日
取材日:2009年4月17日

今年で40歳。山口市の中では若手ナンバーワンの仕事と趣味に生きる頑張り者です。
いかがでしょうか?この取ってつけたような笑顔♪予想以上にナイスなキャラの持ち主でした。詳細は後ほどたっぷりとお伝えします。
←カーソルを当てるとステキな似顔絵になります。
改めまして、田中和寛先生。40歳。うろ覚えですが、たしかA型。[田中和寛税理士事務所]
TACに通っているときに知り合ってゴールインした奥様と小学3年生の息子の3人家族です。

本題に入ります。高校3年の卒業間近の頃、担任の先生に税理士という職業を教えてもらいました。そのときは「ふ~ん」と思っただけでしたが、これが運命の助言だったのです。
しかし、専修大学に入った田中青年は、簿記の勉強どころか朝から晩まで音楽漬けの毎日でした。エレキベース。これで食っていこうとまで考えていました。なので、当然のように1年ほど留年しました。
そして、4年生の春になってはじめて音楽では食っていけないことを思い知りました。遅過ぎです。「どうしよう…」と思った田中青年は、ふと税法の課外授業に出てみました。所得税法と相続税法。
そのときでした。「そうだ!これだ!」と、頭の中にインプットされていた高校時代の担任の言葉が蘇ったのでした。全身が震えた。鳥肌が立った。♪や♭や♯で侵されていた脳細胞が生き返った。

泣いた。男泣きに泣いた。男は、分からないことに悔しさを覚えた。
しかし、ほとんど勉強をしていなかったんだから、悔しがることの方が不思議です…。
とにかく悔しかったので、その翌年から2年間ほどTACに通い、そこで今の奥様と知り合いました。
死ぬほど勉強をしました。体を壊すんじゃないかと周囲から心配されるほど勉強しまくりました。
案の定、その年は体調を崩して試験会場にも行けなかった。試験に落ちることすらできなかった。

あと3科目で税理士になれる!そう思うとワクワクしました。すると田中青年は、実践の中で学びたいと思い、埼玉県の会計事務所に勤め出しました。
実務経験は0です。そのとき「勉強と実務とはまったく違う。えぇ?全然歯が立たないじゃん」と感じた彼の胃には、最初の3日間で激痛が走りました。
「簿記論の“ぼ”の字も使えない…」と途方に暮れていたそのとき、事務所の番頭である大先輩から「本に書いてあることだけをやっていたら、会計事務所なんて必要なくなるんだ」と言われました。

それまでは、本に書いてあることをちゃんとこなせば、尊敬される税理士になれると信じていました。
それなのに最初の3日間で打ち砕かれた。ところが今になって思えば、その大先輩の一言がポッカリと穴が開き掛けた胃をきれいに塞いでくれたのです。
試験勉強と実務とはまったく違う。実社会は日々、変わり続けているんだ。今の実情を知らなければ、顧問先とは口もきけないと田中青年は思いました。
するとなにを思ったか、スーパーへ行ってキュウリやトマトなどの値段を調べ、またガソリンの価格などもザッと書き出しました。彼曰く「庶民の生活レベルを知っておかないと実情が掴めない」と。

そう、ヒントは身の回りに落ちていたのです。
それに本には「○○は経費で落ちる」とはどこにも書いてありません。経費になるかどうかは、顧問先の実情を知っている者にしか分かり得ないのです。
すなわち、納税者を代弁する税理士にしかね。
田中先生、このくらいでよろしいでしょうか。
そして今でも、大先輩からの一言は、田中先生の仕事をする上での大切な指針となっています。
自分の立場から見るのではなく、あくまでも顧問先の目線で捉え&考えることが肝心なんだと。
とは言うものの、97年の10月に大先輩がいるその事務所を辞めました。受験のためです。
そして98年には2科目合格。あと1科目を残して、2つ目の会計事務所へ勤め出しました。

が、その翌年に独立。そのキッカケは「あんたは所詮、事務員だろ」というある顧問先の一言でした。
またここでも男は、行き場のない悔しさを覚えた。
おそらく悔しさをバネにする人生なのです。そこで1つ気づいたことがありました。それは、顧問先が本音を漏らす相手は事務員だけだということです。
2001年5月。32歳の田中先生は地元に戻って開業しました。しかし、顧問先は、0。それから苦悩の日々が続きました。地元の信用金庫から1~2件ほど紹介してもらったものの、それだけでは食べていけません。おぉ。。奥様と途方に暮れながら3年の月日が経ったある日、焦りとイラ立ちが

増えました~♪DMで毎年2桁ずつ増えました。
「やればできるじゃん」と調子に乗った田中先生は、次にサイトを立ち上げました。とは言っても、趣味の鉄道とかガンダムが載っているサイトです。
ところがなんとッ!鉄道マニアとプラモデル好きの
社長が2人もそこから顧問先になったのです。そのときつくづく「鉄道とガンダムは裏切らない」と田中先生は感慨に耽りました。もし許されるのならば、すぐにでも変身したい衝動に駆られました。
その次には、コンビニ経営者専用のプログラムを開発し、そこに向かってDMを送り続けました。
するとセブンイレブン、ローソンをはじめ、実に多くのFCオーナーたちが集まりました。
そのとき思ったことは「自分がお客を増やす手段を持っていれば、顧問先から相談されたとき自信を持って答えられる」ということ。同じDMを出すにしても「それを見る時間帯がありますよ」とか。
さらに田中先生は、顧問先の売上げを伸ばす手伝いをしたい。社長の心と体を動かせるような税理士になりたいと思い、顧問先にアンケートを出しました。「私たちに望むことは何でしょうか?」と。

渡してもだれも喜びません。生きた情報。それを届けるために【なるほど☆レポート】を始めました。
しかし、当初のものは内容が難しく枚数も多過ぎてそれほど反応がありませんでした。そこで私どもの【ダントツ通信】にチェンジ!したのです。すると超大人気です。顧問先の食いつきも凄まじかった。
田中先生曰く「ダントツ通信は、革新的です」と。
最後に、田中和寛税理士事務所の将来についてお聞きしたら「監督業に徹するべきか、現場に生きるべきか。それが問題です」と速攻で答えて下さいました。税理士であり、経営者でもあるからです。

とても気さくな田中先生。きっと顧問先からも愛されていると感じました。その熱い想いとユニークなキャラをどうか次の世代へと継承して欲しいです。
いつかまたお会いしたい。そう思える先生でした。
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80キロ以上の体格で、グイグイと生ビール&焼酎を飲んでいたので最後の方は、何をおっしゃっていたのかよく聞き取れませんでしたが、とりあえず、相槌だけは打っておきました。平和主義者なので。
「顧問先の社長がね、マメ知識の話を自分の言葉のように話してました」と上機嫌なミスター超合金。
どうやらその社長は、ネタ元が【なるほど☆レポート】ということを忘れて周囲にしゃべりまくっていたようです。また、その社長だけでなく、本当に多くの顧問先から反応と反響がてんこ盛りです。
今回の取材の終わりに「ダントツ通信へのご要望やご希望などはありませんか?」とお訊ねしました。 すると「ブルートレインは消えて伝説となったけどダントツ通信はいつまでもズッと走り続けて欲しいなくならないで欲しい」と涙が溢れるような最上級の賛辞をいただきました。 しかしそれにしても、すべての例えが必ずと言っていいほど鉄道系か超合金系のどっちかです。 ←ワンクリックすると動画がスタートします |

ご馳走になって言うのもなんですが、マジンガーZの分厚い図鑑を酒の肴にしたのは生まれてはじめての経験でした。後にも先にも二度とないでしょう。あしゅら男爵のページをめくりながら飲むことも。
ミスター超合金♪あなたって人は。。。
ありがとうございました。またお会いしたいです!
取材:幸松慎太郎、志賀功宗、杉山弘道

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●税理士・公認会計士になったキッカケ●今までに苦労したこと
●嬉しかったこと●現状(売上げや顧問先の増減など)について
●これからの夢●ダントツ通信についてなど赤裸々に語ります!
※東京ディズニーランドのような楽しいサイトが目標なので、便宜上、各コーナーのことを
アトラクションと私どもの間だけではそう呼んでおります。どうかお付き合い願います。
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