【税理士事務所のダントツ通信】をご利用いただいている素敵な方々を順番にご紹介させていただきます!
第4弾 小城麻友子税理士保事務所 小城麻友子先生(東京都文京区)
    取材日:2010年4月23日
はじめまして!小城麻友子です! 第4回目の【ダントツな人々】は、東京都文京区で朝から晩まで大忙しの小城麻友子先生です。

やっとステキな女性税理士を取材できました。ダントツ会員の90%以上は男性税理士なので、今回の取材には否が応でも力が入りました。

だからと言って、これまでの3人の先生方の取材に力が入っていなかったわけではありません。でも、悲しいかな確実に力の入り方は違っていました。

←カーソルを当てると満面の笑みを浮かべます。


ただ、紅一点を狙ってオギマユ先生を取材したのではありません。あ、私どもは敬意を込めて勝手にオギマユ先生と呼んでおります。それまでにメールやスカイプ等で何度となく会話をしていました。


コンクリート打ちっぱなしのシャレた事務所 その中で、オギマユ先生の税理士という仕事に対する誇りや顧問先への想い、将来の夢に邁進する熱いエネルギーがヒシヒシと伝わってきたのです。

小雨が降る中、コンクリート打ちっぱなしのシャレた事務所のドアを叩くと「あら、いらっしゃい~」とまるで昨日も会っていた友人に話し掛けるかのような、本当に素敵な笑顔で迎えてくれました。

とても初めてお会いするという空気ではありませんでした。その気さくさが顧問先との親近感をグッと近いものにしているのでしょう。

平成20年10月に開業したオギマユ先生は、現在1人で事務所を経営しています。それまでの経緯や略歴はサイトで確認はしていましたが、せっかく上京したので改めてご説明していただきました。


珈琲、美味しいですよ♪ オギマユ先生は、すでに学生時代の頃から企業との関わり方を考えていたようです。

緑がまぶしい慶応大学のキャンパスの芝生の上で、お弁当を食べながら「将来は銀行で働きたいなぁ。どうすれば入れるのかなぁ」と仲の良い友人たちにそれとなく語っていました。

ただ、本当にキャンパスの芝生の上でお弁当を食べていたのか否かは、こちらの勝手な想像なので定かではありませんが、このときすでに自身の身の振り方を決めていたことは間違いありません。

企業にお金を融資して、その会社をもっと大きく、さらに中身の濃い会社に成長させてみたい。そして、それができるのはきっと銀行だけだろうとその当時は思っていました。


あのう、ちゃんと私の話を聞いてね しかし、大学を卒業すると日本アジア投資株式会社へ入社しました。そこは銀行ではなかったものの、投資事業組合の決算業務とか資産管理運用業務等に携わることができ、一般企業では得られないだろうとても貴重な体験をすることができました。

あるとき、いつものように仕事をしていたオギマユ先生は、自社の外部公認会計士から「君はCPA(公認会計士)に向いているよ」と言われました。

まぁ、今から思えば「何の根拠があってなの?」と返したくなるような、そんな無責任な一言でした。

しかし、その一言があったからこそ、今日のオギマユ先生をこうして取材することができたのです。


ちゃんと私の話を聞いてますぅ? とは言え、今からでは公認会計士になるには時間が掛かり過ぎる。そこで税理士を目指すことにしました。勤めながら大原簿記に通い、1年目で簿記論、財務諸表論、消費税の3科目を合格しました。

ところが国家資格はそんなに甘くはなかった。平成13年に国内最大規模のKPMG税理士法人、その後、法律会計事務所に職場を移しながら死にもの狂いで実務経験の上積みと受験勉強に励みました。

これらの職場では月次決算、確定申告業務、また事業再生や企業買収に関する業務にも携わりました。


職場では常に新しい仕事を覚え、専門学校では膨大な量の税法を学ぶ日々が数年ほど続きましたが、その苦労の甲斐あって平成17年に5科目すべて揃いました。


私の話もちゃんと聞いてね ただ税理士になる資格は得たものの、まだまだ私は若い。もっといろんな経験と知識を身に付けようとオリックス株式会社の投資銀行本部に平成17年の11月から勤め始めました。

この職場ではファンドの計数管理、運用報告作成、M&A・MBOや事業承継が絡んだプリンシパル投資業務に携わりました。

とにかく、今の自分に足りないと思えば、それらに関するありとあらゆる知識を吸収しようとするその探究心・向上心には凄まじいものを感じました。


オギマユ先生が独立を意識し始めたのは平成20年6月。ある大御所先生の事務所を見学したときに「開業するとこんなにいいことがいっぱいですよ」という理想的な光景を目の当たりにしたのです。


やりたいことはイッパイありますよ! なにがなにが。。。なにがなにが。。。
大きな声では言えませんが、なにがなにが。。。

ちょっと考えれば当たり前のことだったのですが、開業していきなり数十社の顧問先が増え、十数人のスタッフが業務をやってくれるわけがありません。

その大御所先生の事務所と同じレベルになるまでには、何十年もの歳月が掛かるだろうと開業してから気づきました。

当時は、ちょっぴり甘かったのかも知れません。


とりあえず、机の上の整理整頓をしなくちゃ でも、どの道いつかは開業するつもりだったので、今ではいいキッカケになったと感謝しています。

顧問先は1社もない、まったく0からのスタート。正直、不安はありましたが、今できることはすべてやり切ったという満足感も同時にありました。

そして、オギマユ先生の心の中には、絶えず「この人のために仕事がしたい」という想いがあります。

そりゃ最初は、多少無理なことを言う顧問先も相手にしなければなりません。しかし、その人たちとも

いつの日かちゃんと心と心が通い合うよう信頼関係を構築していきたい。それどころか、ライバルとなる税理士事務所に対しても「共に成長して行けたら嬉しいです」と腹の底から思っているのです。


難しい専門書がズラリと並ぶ本棚 そう思える人間となったのには、ある人の影響がありました。それは、オギマユ先生が中学生のときにお世話になった塾の先生です。厳しい女性でしたが教えてくれたのは勉強だけではありませんでした。

彼女曰く「勉強も大切だけど絶対に人(ライバル)の足は引っ張ってはダメ。あの人がいなくなったら…と思うのではなく、その人を乗り越えることがどんなときにも一番大切なのだから」と。

オギマユ先生は、この言葉を胸に刻んで仕事に励んでいます。引っ張るのではなく乗り越えるのだと。


「人と比較をしてはいけない。見ている人は、きっと見ていてくれる」。これもその当時、彼女から贈ってもらった言葉です。残念ながら病気で亡くなってしまいましたが、オギマユ先生の胸の中には

いつまでもこれらの言葉は生き続けているのです。

「お客様1人1人と共に喜び、共に成長し続けたいです」。オギマユ先生は、そう力強く言いました。

おそらく50年は続くであろう長い税理士人生、素晴らしい顧問先と優秀なスタッフたちに囲まれ、共にまい進することだと私たちは確信しました。

まるで旧知の仲だと錯覚するほど気さくでフレンドリーなオギマユ先生、是非またお会いしたいです。

←ワンクリックすると動画がスタートします
               
取材後記
税理士って怖くないですよぉ~ 「M&A等の一般的な職場ではあまり経験できない特殊な仕事ばかりをずっと現場でやってきたので、そのような難しい依頼があっても対処できますよ」とはオギマユ先生の弁。

大学を卒業してからすべての職場の第一線で、一般の人では経験し得ないような実務を積み上げてきたため、それが血となり肉となっているのでしょう。

頼もしい限りです。今後は、相続関係のセミナー等を定期的に開催し、1人でも多くの人と身近に接することが出来る税理士を目指すオギマユ先生です。

ダントツ通信の発行に関しては、デザイン40という女性が好む手書きフレームを利用しているようです。私たちが提供するネタだけでなく、そこは知識量が多いオギマユ先生、自身の想いやコラムを巧みに組み入れて丁寧に作成し、顧問先からの評判も↑↑です。

ちょうど取材日の夜に東京のライター会がありましたので、お忙しい中、オギマユ先生にも参加していただきました。現在、ダントツ通信のライターは総勢30名。その中から東京近郊に在住するライターが12名ほど集まり、ワイワイガヤガヤやりました。税理士を始めて見るライターもいました。

「税理士さんって、もっと気難しくて怖い人ばかりだと思ってましたよ」とあるライターが漏らすとオギマユ先生は「そんなことないですよぉ」と笑いながら税理士のイメージ回復に努めていました。

税理士の前に是非、またお会いしたいと思うとても素敵な女性です。ありがとうございました。



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